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Rouge with Gayー化粧をしてても私はゲイー vol.1

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ドラァグクイーン: drag queen】ー女性の姿で行うパフォーマンスの一種。ドレスやハイヒールなどの派手な衣裳を身にまとい、厚化粧に大仰な態度をすることで、男性が理想像として求める「女性の性」を過剰に演出したことにあるといわれる。また纏った衣装の裾を引きずる(drag)ことからドラァグクイーンと呼ばれる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ドラァグクイーン

華やかなメイクをしてお店に立ったり、ステージでユーモラス且つ煌びやかなショーをしたり、僕たちゲイの生活に近いようで遠い存在である、ドラァグクイーン。そんなドラァグクイーンだって、化粧をしてても1人のゲイだ。表から見える顔や着地した先が違えど、ゲイとしての悩みや生き方は化粧をしない僕たちとなんら変わらないのではないだろうか?

この連載では、ドラァグクイーンであるゲイの、その人生の揺らぎを見てみたい。そんな雑な好奇心を無理に押し付けて執筆をお願いした。

もちろんここで書かれること全てが、ドラァグクイーンやゲイに当てはまることではない。ただ、ゲイとして生まれた1人の少年が、今現在、新宿2丁目で女装をする人生を選び、何を感じて何に悩み、何を思っているのか、そんなシンプルな日々の徒然を知ることができればいいなと思っている。

初めまして、イズミ・セクシーと申します。

「アンロミー!」読者の皆様、初めまして。ドラァグクイーンのイズミ・セクシーと申します。

女装しながら新宿2丁目のmarohigeというbarでホステスをしたり、クラブ等でパフォーマンスしたりしながら。おまんまを食べさせていただいております。

この度「アンロミー!」の凌副編集長から、私自身についてつらつらと書いてみないかとの申し出をうけ、筆(という名のテキストアプリ)をとった次第です。なんだか壮大で漠然で皆様興味があるのか分かりませんが、ひとつよしなに。 

初回は私の少年時代にスポットを、とのお題です。コンクリートジャングルでサヴァイヴする37歳の私にいきなり無理難題…… と思いつつ記憶の糸をつなぎ合わせていきたいと思います。

物心ついたときから、同性愛者の自覚がゴリゴリにあった私は、しっかりオネエでクネクネしていて、自分のことを「僕」や「俺」と言えない自分の下の名前が一人称の「オカマ坊や」でした。

それでも元来、人前でおちゃらけたり、親戚の宴会で一芸披露するような明るい子供だったので、特にいじめられるような事もなく、呑気に幼少期を過ごしていました。ただ、男の子の輪男子遊びが苦手で、3つ年上の姉や姉の友人と遊んでる方が楽しかった感覚は、今も呪いのように付いてまわっています。

性の目覚めが早い、ドスケベ幼稚園児だった私は、当時大流行していた光GENJIにハァハァしながら近所の年上のお兄ちゃんや、家で開催される父の宴会に来る同僚の方々を「オトコ」として見る、とんでもない子供でした。そのころから色情狂。今もしっかり色情狂。

LGBTも多様性も何のこっちゃだった時代、自分の性が何となくタブー視されてるんだろうと察知しながら、テレビに出てくる日出朗さんをはじめとした、今で言うところのオネエタレントの皆様を見ながら、自分はこういうカテゴリーの人間だろうなとぼんやり思っていました。因みにこの時に新宿2丁目というものの存在も知りました。

父が転勤族だったこともあり2年に1回は引っ越しをする環境だったのですが、家を買った事で千葉の外房のど田舎に定住することになったのは、小学5年生の時。それまで2年に1度人間関係がリセットされた私に、初めて地元というものができました。

そこには長年その土地で培われた人間関係とグルーヴが存在していて、カーストというものがありました。完全部外者の少年イズミは、その閉鎖的な空気のなか、元来のひょうきん気質や、数々の転校で培った「人の懐に入り込む性」を利用してなんとか溶け込んだものの、カーストの頂上に君臨する子の機嫌次第でハブられる対象になってしまう、緊張感のある学校生活を送ることになります。

中学にあがると他の小学校からも生徒が集まり、思春期突入の少年少女たちには色恋というものが加わるので、よりわかりやすく陽キャ陰キャに分かれていきます。完全ホモセクシャルの私は、むせ返りそうになる性の現場を横目に、剣道部の顧問の先生や野球部の先輩にハァハァする日々。

そして、今でこそ「アニメ好き」とプロフィールに堂々と書けるような時代ですが、25年位前の千葉の末端の文化はヤンキー大正義。エヴァンゲリオンが好きな私はスクールカーストの下層に堕ち、サブカルチャーやコアな音楽に耽溺していきます。今考えるとそれが唯一の自己防衛だったのかもしれません。

「ワタシハオマエラミタイニバカジャナイ」。厨二病大炸裂。イタい!

そんな痛暗い思春期、あたたかい両親に何不自由なく育ててもらっていた私は、家出を決行します。世間の厳しさを知らない激甘中学生が、一丁前に世界を悲嘆し、自分の人生を悲嘆し、この先の未来に絶望して、所持しているCDをリュックサックいっぱいに詰め込んで。百円玉の表が出たら新宿2丁目、裏が出たら外房線を下って海辺の民宿で住み込みで暮らそう…… と。

百円玉の裏が出た私は、御宿というサーフィンで有名な海辺の街に降り立ちます。無計画&中学生という初期装備ゼロだったためひとまず海でも眺める羽目に。5時間くらい眺めていて、そろそろ夕暮れかなって時間に地元のギャル2人組に声をかけられます。


ギャル①「お前さぁ、さっきから見てたけどもしかして家出?」

少年イズミ「は…… うーん」

ギャル②「ちょっとリュックみせてみなよ」

ー中から出てくる大量のCDと少しの着替え

ギャル①「ヤバwww これ家出じゃーん」

ギャル②「www お前この辺夜になると、地元のヤバいのでてきてボッコボコにされるから、帰った方がいいよwww」

ギャル①「www 駅まで送るから帰りなwww」


こうして御宿のギャルの車に乗り、駅まで送ってもらった私の家出は1日も持たずに終わる事になります。イタい! 複雑骨折ぐらい痛い! あと千葉のギャルは最高!! 

この後も私の思春期は益々発酵していくことになりますが、それはまた別のお話。 

イズミのSEXY LOVE DISK

凌副編集長からこのお話を受けた時に、ただ徒然に書いても文字数埋まらなそうだから、ディスクレビューみたいなのつけたいですと申し出たところ、あっさりOKをいただいたので、私の独断と偏愛を語らせていただけたらと思います。

初回の1枚はCharaの「Junior Sweet」

当時の旦那様だった浅野忠信と手を繋いで、満面の笑みで写ったジャケットが印象的な1997年9月発売のマスターピース。バラエティに富んだアレンジャー達と共に心のヒダヒダを丁寧に刺繍して、1枚の魔法の絨毯に織り上げたような、美しい1枚です。ド頭の「ミルク」の張りつめた歌声とメロディで、ノックアウトですよ!

今ほど様々な音楽にアクセスする事が難しく、売れ線とサブカルチャーがきっかり分かれてしまってる時代に、まだまだ聴く人を選ぶミュージシャンだったCharaが、ミリオンセラーを記録したという意味でも偉大。

ただ、ミリオンセラーは至極真っ当で、とてつもなくパーソナルな音楽なのに、リスナーのハートにドラクエのホイミのように浸透して、毛細血管の先の先までCharaが行き渡る素晴らしい楽曲達がつまっています。

痛暗いエピソードとしては、このアルバムに憧れて、自分がアルバムを作ったらこのアレンジャーで、こういう初回限定盤で、こういうジャケットでって夢想していました。なんならノートに描いてました。キャァァァァァァ!!!

そんな発酵した中学生だった私の自我を支えてくれたという意味でも感謝すべきアルバム。件の家出の時もちゃんとリュックに入れていました♡ 御宿の海と♯5タイムマシーンのMVの海が似てたなぁ。

よく言われますが、ほんとに今聴いても色褪せないので、未聴の方は是非。

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